ちんみ→ちんぽをみること 老人が小学生の頃を振り返る

吉田ゴンザブロー回顧録

吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家) 

昭和24年1月2日生まれ。シニア・団塊の世代を代表し「老人アルバイト伝説」を毎日発信している。サラリーマン時代はは経理部長を務めていたが、現在はアルバイトを2つかけもつ下流老人。今日のテーマは「ちんみ→ちんぽをみること 老人が小学生の頃を振り返る」です。

 

 

学級新聞でエロいことを記事にしていた昭和の子ども

老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。

小学校5年生の時、学級新聞を立ち上げた時がある。

タイトル名は忘れたが、俺が考えぬいた「略語」を発表するというコーナーがあった。

略語とは、呼んで字のごとく、言葉を略したもの。

今、思い起こしてみれば、俺はすごいことを考えていたんだなと感心する。

そう、俺は天才小学生だった。

その略語を一部例示する。

「まんみ」→まんこを見ること。

「ちんみ」→ちんぽを見ること。

すごくないか。

フェラチオとかクンニリングスとか、直接性器を舐めるといったことを示す言葉はあるが、性器を見つめるといった言葉を指し示す言葉はない。(あったらごめん。)

あと、「ちんさ」→ちんぽをさわること。「まんさ」→まんこをさわること。などなど、小学生が作った言葉としてはすごすぎるものを発明したのが、11歳の頃の俺だ。

俺は一躍クラスの人気者になった。

いい気になった俺は、第二弾、第三弾とおもしろ新聞を次から次に発行した。

しかし、そこで事件が起こる。

当時の担任が産休で休暇をとるようになり、代用教員として、当時はどこの学校にもいた、用務員ではないのだが、雑用みたいなことをやっている、何をやっているかわからない「先生」がいたのだが、その雑用先生が、仮担任として、俺のクラスを受け持つようになった。

先生の名は、紙山修司といった50代のジジイだった。

紙山は、大正生まれの封建的な男で、旧帝大の予科とかいう、今でいう専門学校を出て、昭和のどさくさで、教員免許をとり、小学校で雑用をやっていた。

暴力的ですぐに子どもに手をあげる、反社会的なおやじだった。

バドミントンのダブルスが大学で8位とか、よくわからない実績を誇示する気のおかしいその教員は、担任になったとたん威張りだした。

「ちんみ」だの「まんみ」だのとませたことを言っている俺に目をつけ、毎日のように俺をいたぶるようになった。

もちろん、学級新聞も「廃刊」に追い込まれる。

俺は、紙山のせいで、トラウマになり、その後とてもおとなしい人間になってしまったんだよ。

略語とは関係ないオチになったね。

ゴメン。

 

 

 

※当サイトはある人物の依頼により立ち上げました。当サイトに登場する人物や職場などはすべて架空のものですが、実在する人物に取材をし、その方の話をモデルにし、本人と特定できないように大幅に修正しております。

吉田ゴンザブローについて
老人アルバイター

昭和24年生まれ・団塊の世代、吉田ゴンザブローは今日も生きる、生き続ける。「老害」「死んでほしい」と言われようが絶対に引くことはない。『老人アルバイターは、夢はないが、ささやかな幸せがある!』この言葉を信じて、2つのアルバイトを掛けもちする。スーパー老人アルバイター(評論家)・吉田ゴンザブローはブログで生き様を発信し続けます!

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