吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家)
昭和24年1月2日生まれ。73歳老人。シニア・団塊の世代を代表し「老人アルバイト列伝」を毎日発信している。サラリーマン時代は経理部長を務めていたが、現在はアルバイトを2つかけもつ下流老人。今日のテーマは、「片岡鶴太郎について語りたい」です。
隼ジュンとガンディーズでサーカスをやっていた鶴ちゃんが好きだった
老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。
今日は片岡鶴太郎について語りたい。
ていうか、ホントは「老ター思い出の一曲」で、鶴太郎の「哀愁DON JUAN」を紹介したったが、残念ながら映像がなかったので、急遽鶴太郎について語らせてもらうよ。
先日、NHK朝ドラ「ちむどんどん」に片岡鶴太郎が出演していた。
沖縄県人会の会長といった重要な役どころ。しぶい初老の男性をそつなく演じていた。
鶴太郎はいつから、お笑い芸人というかイロモノを辞め、2枚目路線に向かったのか。
ビートたけしの「オールナイトニッポン」で、鶴太郎の「イロモノ広場」というコーナーをもたせてもらっていたが、あの頃の鶴太郎はギラギラしていた。
最近の若い人は知らないかもしれないが、鶴太郎は、元々ダチョウ倶楽部ばりに体を張った芸風が売りのお笑いタレントだった。
俺は、正直今の鶴太郎は大嫌いだ。
元々、事務所の先輩・ビートたけしに弟子のようにへばりつき、ケツ毛の生えたお尻を出したり、バンダナをして近藤真彦のモノマネをやっていたころは、最高におもしろかった。
たしか、たけし軍団が結成される少し前くらいの頃だ。
あの頃、たけしと営業先でナンパしやりまくり、ナース大好きなことを「オールナイトニッポン」で暴露されていたが、ホントにあの時の鶴ちゃんは輝いていた。
それこそ、「俺たちひょうきん族」で近藤真彦のモノマネをやっていた頃だ。
「マッチでーす!」の頃。
たけしと毎晩飲み歩いていた鶴太郎は、ある日、泥酔し電柱に上りケツを出すなど悪ふざけしている時、ふとクルマのミラーに映る醜い自分の顔に愕然とする。
「このままでいいのか、俺・・・」
そして、心機一転、プロボクサーを目指し、テスト合格してしまう。
1試合も出場せず引退するが、その後、世界チャンピオンの鬼塚勝也のセコンドにつき世界戦にも同行した。
このあたりから、鶴太郎は勘違いの道を歩む。
今度は、お笑いを辞め、俳優の道を目指し、それだけでは飽き足らず、ヨガの達人と化ししまった。
人の生き方に、他人がどうこういう筋合いもないが、俺はケツを出しまくったり、営業先でナースをナンパしていた鶴太郎が大好きだったし、憧れていた。
だからもう一度聞きたい。
片岡鶴太郎の「哀愁DON JUAN」を。
ところで、40年くらい前、彼は片岡鶴はしというさえない弟子をとっていたが、鶴はしは元気なのだろうか。
生存していたらコメントをほしい。
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