吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家)
昭和24年1月2日生まれ。シニア・団塊の世代を代表し「老人アルバイト伝説」を毎日発信している。サラリーマン時代はは経理部長を務めていたが、現在はアルバイトを2つかけもつ下流老人。今日のテーマは「コロナ禍で頑張る風俗嬢を讃える老人アルバイター」です。老後こそ人は試されています。
須藤豊(元巨人軍)のモノマネで世相を斬る老人アルバイター
老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。
最近俺は、昔読売ジャイアンツでヘッドコーチをやっていた須藤豊(通称・すーやん)のモノマネにはまっている。
すーやんは、若手選手に無気力な態度を感じたら、その場で殴り、「そんなやる気のない選手、いりませんよ」と言って怒鳴りつけたのは有名だ。
まだ、ジャイアンツの2軍が多摩川球場で練習していた頃の話である。
俺はこのフレーズが大好きだ。
例えば、プレイが下手くそな風俗嬢に対し、「フェラチオの下手な風俗嬢、いりませんよ」と言う。
まー、例えばの話である。
コロナ禍で飲食業界、風俗業界が瀕死状態だ。
俺は、特に風俗業界が心配だ。
知り合いの風俗業界の店長から聞いた話だが、食えない嬢がいっぱいいて、生活保護の申請に走る女の子は多数いるらしいが、なかなか受給できなくて困っているらしい。
「風俗嬢を救えない日本政府、いりませんよ」
まー、これを言いたかったのだが・・・。
風俗で食えないからバイトを始める風俗嬢
これは、コロナ以前の話だが、俺のバイト先のひとつ弁当工場にも、風俗ではたらきながら、アルバイトしていたおばさんがいた。3年くらい前の話だ。
田村由美子(当時48歳)だ。
田村は、シングルマザー。高校生の息子2人を養育すべく、熟女ヘルスで働いていたが全然稼げないので、深夜の弁当工場でバイトを始めた。
普通逆ではないのか。弁当工場で稼げないから風俗で働くのではないのか。
俺の感覚ではそう思う。
しかし、違った。
田村の働いている熟女風俗は、来るもの拒まずで、実技教育などもなく自由なムードの店だったが、在籍人数が過剰で、廉価な価格設定も手伝ってか、よほど人気のある嬢でなければ、稼げなかったらしい。
「風俗だけでは食えないので、バイトを始めたんです」
兼業風俗嬢だ。
俺は田村は、あまりタイプではなかったが、少しでも応援しようと、田村の働く店に行き、指名してあげた。
たいへん歓迎してくれてうれしかったが、何というか、可もなく不可もないプレイだった。
『楽しかったよ』と言って帰ってきたが、二度と行くまいと誓った。
その後、田村とは、いい友達付き合いをさせてもらっているよ。
ところで、その田村だが、今でも弁当工場で働いている。働きぶりがすごくて、社員の人望も厚い。
風俗は、コロナで全く客がこなくて、辞めてしまったらしい。
「もう50歳過ぎたんで、風俗でもないかなって・・・」と田村。
本人の名誉のため言っておくが、田村はプレイこそ大したことがなかったが、接客は一流だった。
なんせ、俺の小さいちんちんを、「まーまーよ」って褒めてくれたんだから・・・
全国の風俗嬢のみなさん。コロナ禍の中、本当にご苦労様です!
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