吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家)
昭和24年1月2日生まれ。73歳老人。シニア・団塊の世代を代表し「老人アルバイト列伝」を毎日発信している。サラリーマン時代は経理部長を務めていたが、現在はアルバイトを2つかけもつ下流老人。今日のテーマは、「読売巨人軍・森谷昭 1982年の思い出」です。
巨人・森谷昭という選手に嫌がらせの手紙を送った1982年
老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。
俺は、生粋のジャイアンツファン。
どれだけ、巨人のために、どれだけ情熱と時間と金を費やしたかわからない。
今から40年くらい前、巨人に森谷昭という一軍半の選手がいた。
社会人野球を経て、1978年ドラフト外で巨人に入団。
1979年から1983年まで在籍した選手だ。
実は俺は、森谷選手とちょっとした思い出がある。
思い出といっても、別に知り合いでもなんでもないのだが、俺は森谷の自宅に「叱咤激励」という名の、逆ファンレターを出したことがあるのだ。
「こら、ぼけ、森谷!」みたいな。
あれは、確か1982年のシーズンだったと思う。
チャンスになぜか森谷が代打に指名された。
しかし、期待に応えることができず、ゲッツーの末、巨人は負けてしまった。
怒った俺は、森谷の自宅に怒りの手紙を出してしまった。
「森谷、この野郎。チャンス潰しやがって」と。
信じられないだろうが、当時の選手名鑑には自宅の住所が記載されていた。
森谷が悪いわけではないだろうが、その年巨人は中日に逆転され優勝を逃してしまう。
生涯打席数5 安打数0 無名中の無名選手
そして、翌年の1983年のシーズン、森谷は1試合も出場することがなく引退するに至る。
わずか5年間の現役生活。
後に記録を調べて驚いたが、森谷の生涯試合出場数は9、打席数は5しかなかい。まして安打数は0である。
考えてみれば、当時の巨人のレギュラー陣は凄まじかった。
投手は江川、西本、定岡、加藤初、角。
捕手は山倉。
野手は中畑、篠塚、原、河埜、山本功児、淡口、ロイ・ホワイト、レジ―・スミスなど、つけこむ余地がない。
森谷は強烈のプレッシャーの中、代打に送られたのだ。
いやー、その緊張感ハンパなかっただろうね。
なんせ、5回のチャンスのうちの1つなんだから。
その併殺以降、森谷の出場機会は一度も訪れず、引退するハメにあう。
もし、俺が、あの時激励する手紙を出していたら・・・。
ひょっとすれば、森谷の選手寿命はもって延びたのではないだろうか。
森谷くん、許してくれ。
そして、元気で暮らしているだろうか。
もし元気なら、連絡ください!
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