吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家)
昭和24年生まれの団塊の世代。シニア世代を代表し、老人の「アルバイト列伝」を日々発信。某私立大学経済学部卒。中小食品メーカーに入社。部長職に上り詰めたが、定年退職手前で会社が事実上倒産。現在はとある事情から、スポーツクラブの会員専用駐車場と大手コンビニ弁当工場のダブルワーカー。今日のテーマは「名門野球部出身の老人アルバイター」です。
名門野球部出身 野球のへたな老人アルバイター
老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。
老人アルバイターの現場には、様々な経歴の人間が集まってくる。
バイト際の同僚、村田周平(64歳)は、高校時代、名門野球部に所属していたらしい。
たしかに、年の割に体格はよく、いいケツをしていた。
村田が出た高校は、北関東の野球部強豪校。何人ものプロ野球選手を輩出した高校だ。元巨人の有名選手もここを出ている。
「当時の野球部員はすでに80人を超えていた。新入部員が60人くらい入ったんだけど、夏休み前には10人を切るまで減ってしまったんだよ」
猛練習の時代。監督・先輩のしごきに耐え、村田はやめることなく、3年間野球を続けたが、ついにベンチ入りはかなわなかった。
「ベンチ入りどころか、3年間1回もボールを触らせてもらったことがなかった。声出しと球拾いで終わってしまったんだよ」
毎日のように先輩のいじめに耐え続けた野球部。しかし、結局ボールすら触れない部活生活。なんのために野球部を続けていたかわからない。
老人アルバイターの後悔 野球なんかやらなければよかった・・・
村田は言う。
「野球をやっていたことを今でも後悔している。3年間、正月の3日間しか休んだ記憶がないが、何一ついいことがなかった」
そのエネルギーを違うことに使っていれば、例えば勉強などしていれば、まあまあな大学に入れたのではないかと言う。
後悔しきれないとはこのことだ。
「よくドラマで、家が貧乏で野球どころじゃなかったお兄さんが、「野球部をやめたい」って泣きごとを言う弟を、『甘えるな、俺は野球をやりたくてもできなかったんだ。お前は野球をできるだけまだましだ』なんてどやしつけるシーンがあるでしょ。あれはウソだよ。俺はどうせなら、貧乏で野球どころじゃないほうが、ましだと思うよ。だって、あんだけ努力して、何も結果がでなかった傷は、50年近く経った今でも癒えないんだからね」
うーん、村田わかるよ。
選択肢は少ないほうが、幸せな場合が多い。
俺の死んだ母ちゃんは、バカでとても頭が悪い。
だけど、まあまあ幸せそうだった。
成功もしていないけど失敗もしていない。憎しみもなければ慈しみもない。
何にも考えていないから悩みもない。比べるものがないから、特に嫉妬することもない。
なんせ、当時は嫁に行く以外選択肢がなかったんだから。
何も知らずに死んでく人生は、それはそれで悪くないのかもしれない。
バイトの休憩時間、村田とキャッチボールをしたことがある。
名門野球部で3年間過ごした男の腕前は、俺より下手くそだった。
そういや、一度もボールを触ったことがなかったんだね。
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