なぜ警備員は食えない仕事となってしまったのか

警備員はつらいよ

吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家)

昭和24年1月2日生まれ。73歳老人。シニア・団塊の世代を代表し「老人アルバイト列伝」を毎日発信している。サラリーマン時代は経理部長を務めていたが、現在はアルバイトを2つかけもつ下流老人。今日のテーマは、「なぜ警備員は食えない仕事となってしまったのか」です。

 

当時時給は680円 警備員のお仕事だよ

老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。

老人アルバイターのセーフティーネットと言われている警備員の仕事。

60代の老人アルバイターが6割以上を占めているのが警備会社の実情だ。

なんせ給料が安すぎる。

俺は、10年以上前、警備員を数年やっていたが、なんとその時の時給が680円だった。

自分で車を出せばガソリン代が支給されるが、今みたいに原油高騰すれば当然足がでるだろう。

俺が警備員をやっていたころも、今みたいに原油高で、ガソリン代を支給されるも大赤字だった。

 

なぜ警備員は薄給の仕事と化してしまったのか

薄給の代表と化してしまった警備員だが、昔は食える職業だったことを知る者は少ない。

俺の長期で入った現場の監督で、工藤さんという人がそのことを教えてくれた。

工藤さんは、俺の「中途カット」のやり方が下手過ぎて、大きな声で怒鳴った。中途カットとは、読んで字のごとく、車道で走っているクルマを止めることだ。

俺が見本を見せてやるとばかりに、誘導棒を奪い取り、実技指導をしてくれたのだが、工藤さんの車の誘導は芸術的といえるほど上手だった。

それもそのはず、工藤さんは若い頃10年以上交通誘導の警備をやっていて、現場を仕切っていたらしい。

工藤さんは、俺の時給が680円だということを聞いて、あきれていた。

「そんな食えない仕事やめちまえよ」って。

工藤さんは続ける。

「俺が警備員をやったいたのは20年前だったんだけど、そのころは、最低でも一現場10,000円は出ていたんだ。今の倍だよ。だけど、この業務って一度覚えたら誰でもできるだろ。だから、次から次に独立開業するヤツが出てきて、警備会社がどんどん増えちまってね。気が付けばこの町の警備会社は500社を超えたんだよ。それでだんだん賃金が落ち込んで、それで俺は土建屋に転職したってわけよ」

なるほど、警備員の仕事って確かに誰がやっても変わらない。

新規開業しやすかったから、供給過多になっちまったんだね。

供給過多といえば、コンビニ・学習塾・歯医者なんかがまさにそうだね。

競争が多いから、なかなか儲からない。

コモディティ化すると、仕事は安価なものになる。

すると、優秀な人材は集まらない。

それで、老人アルバイターのセーフティーネットとんなっちまったんだね。

現場監督の工藤さんとはその後意気投合。

いっしょに風俗に行く間柄になったことを付け加えておこう。

 

 

※当サイトはある人物の依頼により立ち上げました。当サイトに登場する人物や職場などはすべて架空のものですが、実在する人物に取材をし、その方の話をモデルにし、本人と特定できないように大幅に修正しております。

 

吉田ゴンザブローについて
老人アルバイター

昭和24年生まれ・団塊の世代、吉田ゴンザブローは今日も生きる、生き続ける。「老害」「死んでほしい」と言われようが絶対に引くことはない。『老人アルバイターは、夢はないが、ささやかな幸せがある!』この言葉を信じて、2つのアルバイトを掛けもちする。スーパー老人アルバイター(評論家)・吉田ゴンザブローはブログで生き様を発信し続けます!

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