吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家)
昭和24年生まれの団塊の世代。シニア世代を代表し、老人の「アルバイト列伝」を日々発信。某私立大学経済学部卒。中小食品メーカーに入社。部長職に上り詰めたが、定年退職手前で会社が事実上倒産。現在はとある事情から、スポーツクラブの会員専用駐車場と大手コンビニ弁当工場のダブルワーカー。今日のテーマは「老人アルバイトあるある 警備員の座学は荒行である」です。老後の人生、手を取り合ってがんばりましょう!
警備員になるには4日間の教育期間が必要
老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。
俺は、昔3年くらい警備員をやっていたことがある。会社は3つくらい変わっている。
警備会社は、入社してもいきなり現場に行くことはない。
現場にでるまでに、4日間の研修期間があるのだが、これが退屈で退屈でどうしようもなく辛かったりする。
各会社で手順は違うだろうが、1日目〜3日目は警備に関する法律や業務の基本的なこと、または現場での注意点などを座学で学ぶ。そして4日目は現場での実地研修がある。
研修期間の給料はいきなりは出ず、3ヵ月くらいして会社を辞めていなければ、最低賃金ほどのお金が出ることになっている。
ただ話を聞いていればいいので、たいしたことないと思われがちだが、これが意外に辛い。
なんせ、採用が一人の場合、指導者と新人のマンツーマンで行われる。教育者側とそりが合わなければ、けっこう気まずい時間を過ごさなければならないからだ。
警備会社に多い バカな指導者
俺が在籍した警備会社のひとつは、市内で老舗の「チャーリー警備株式会社」だ。
その会社はけっこう儲かっているのか、経営陣というかプラプラしているオジサン達がけっこういた。
社長、専務、常務、平取、部長、顧問A、顧問B、部長やら全員が個室をもっていて、ヒマを持て余しているのか、全員が持ちまわしで教育してくれた。
そこの社長と部長がバカな奴らだったので、ここで紹介させてもらう。
まず、渡邉という元銀行役員の社長。ねちっこそうなジジイだった。
あんたは今62歳?ほー・・・
と言った後、「では私は今いくつに見える?私は今独身だから若くみられがちなんだよ」と聞いてきた。
こういう時は見た目より少し若く言ってあげたほうがいいと思って、『意外に若いんじゃないですか。そうですねー、65、6といったところじゃないかと思いますが』と優等生的に答えてみたが、なんと社長は70歳だった。
気を悪くした社長は、その後不機嫌な感じで、テキトーな話をして帰って行ったが、たいそう気まずい時間で、早く帰りたくなった。
次に教育に来たのが、当時40代後半の川崎という部長。
「うちの隊員は野球経験者が多いんだよ。実は俺、大昭和製紙北海で野球をやってたんだ。7番フ―ストで都市対抗でもホームランを打ったよ」と他愛ないホラ話をぶち込んできた。
これは川崎の鉄板ネタで、こんなマニアックな話だれもわからないと思ってテキトーに言っていたんだろうけど、なんせ俺はプロアマ問わない野球マニア。
『大昭和製紙北海道ということは、沖縄興南高校の我喜屋先生もいましたよね』とさりげなく聞いてみた。我喜屋先生とは、70年代に、社会人野球の勇・大昭和製紙北海道に在籍。1974年の都市対抗ではホームランを打つなど大活躍した。
その当時は沖縄興南高校の監督をされていて、アマ球界では知る人ぞ知るお方だったのだ。
しかし、川崎は「我喜屋先生?そんな人知らないなー。俺は現役の頃はけっこう昔だから、その後のことはわからないよ」とウソを露呈、そして適当に話を変えようとした。
俺は、よしゃいいのに意地悪ごごろが騒ぎ出し、『川崎さん、大昭和製紙で野球やってたのウソでしょ。我喜屋先生はアマ球界の神様みたいな人だ。そんな方を知らないってのは、あんたウソつきだよ』と返してしまったのだ。
その話はそれで終わったが、鉄板ネタを葬りさられた川崎は根に持ち、俺を、誰も行きたがらないようなガラの悪い現場に派遣しまくりやがった。
そこで4ヵ月ほどがまんしたが、毎日現場で作業員に胸ぐらを掴まれたり怒鳴られたりして、嫌になって辞めてしまった。
口は禍の元という話でした。
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