老人野球の思い出 送球で脱臼する老人アルバイター

老人アルバイターの「遺言状」

吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家) 

昭和24年1月2日生まれ。シニア・団塊の世代を代表し「老人アルバイト伝説」を毎日発信している。サラリーマン時代はは経理部長を務めていたが、現在はアルバイトを2つかけもつ下流老人。今日のテーマは「老人野球の思い出 送球で脱臼する老人アルバイター」です。定年後こそ人は試されています。

 

老人アルバイターの夢 老人野球で白球を追うこと

老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。

何年か前、草野球の試合に参加したことがある。バイト仲間が草野球をやっていて、メンバーが足りないからといって、野球経験のある俺に白羽の矢が立ったということだ。

しかし、その草野球はただの草野球ではない。なんとそれは「老人野球」だった。

チームに入団するには「60歳以上」という厳しい条件がついている。

俺の住んでる街には老人野球のリーグはないのだが、設立に向けて動きがあり、すでに市内で3チームができあがっていた。

3チーム入れ替わりでの親善試合が主な活動で、時たま少年野球チームとも練習試合をしたりしているという。

俺が参加したチームの名前は「旭町ロビンス」といって平均年齢はなんと64歳。最年長は72歳の方だった。

それにしても夢のある話だ。暇を持て余した老人達が集まり、野球でしのぎを削り競い合う。

健康的だし、仲間も増えていいことばかりだ。

俺もバイトを辞めれたら辞めて、老人野球をおもいっきり楽しみたい。

そんな淡い思いをもって、試合会場であるグランドに駆け付けた。

しかし、そうは問屋が卸さない。

夢の覚め際はいつもむごい。

 

老人野球とはいえ侮れない 老人アルバイターの夢破れる

借りたユニフォームを着て、喜びいそんでグランドに向かったものの、そこには「新人」に対する洗礼が待っていた。

老人野球とはいえ、メンバーのほとんどが甲子園出場者で、中には東京六大学リーグで慣らしたものもいた。

地方予選で2回戦で負けた俺など、歯牙にもかけない。アウェー感がただよっていた。

しかも、人数が足りないといって、「助人」としてきたものの、来れないはずのメンバーがなぜか来ていて、俺の出番がまるでない。ただただベンチに座っている以外やることがない。

甲子園に出るくらいなので、そりゃあ激しいし練習やしごきを経験しているのだろう。

なんというか、みんな高圧的で、ヤジもひどく、また同窓の先輩後輩の関係性はいまだ続き、ジジイ同士とは思えないほど、ガチガチの上下関係がそこにはあった。

どう楽観的に見ても、俺の居場所はなく、早くグランドから離れたかった。

俺の出番が、やってきたのが、最終回の守備固め。

セカンドを守らせてもらったのだが、ゴロを受け一塁に送球した際、右肩を脱臼。そのまま救急搬送されるというマヌケなオチをつけてしまった。

一応、メンバーは形式的に心配してくれていたが、救急車にはだれも同乗してくれなかった。試合が終わるまで、離れるわけにいかないというのが理由だ。

俺は、その後、バイトにも行けず、家で安静していたが、本当に敗北感でいっぱいだったよ。

野球に呼んでくれたバイト仲間のことを恨みに恨んだ。何が助人だ、ベンチウォーマーじゃねーか。それに誰も話しかけてくれないし。

俺はその後そいつと絶交し、いっさい口を利くのをやめてしまった。

いや、しかし趣味といっても命がけだということなのだろう。

やわな気持ちでは、できない。

それが、老後の趣味なのかもしれない。

 

※当サイトはある人物の依頼により立ち上げました。当サイトに登場する人物や職場などはすべて架空のものですが、実在する人物に取材をし、その方の話をモデルにし、本人と特定できないように大幅に修正しております。

吉田ゴンザブローについて
老人アルバイター

昭和24年生まれ・団塊の世代、吉田ゴンザブローは今日も生きる、生き続ける。「老害」「死んでほしい」と言われようが絶対に引くことはない。『老人アルバイターは、夢はないが、ささやかな幸せがある!』この言葉を信じて、2つのアルバイトを掛けもちする。スーパー老人アルバイター(評論家)・吉田ゴンザブローはブログで生き様を発信し続けます!

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