老人アルバイター 夜間大学の学生との思い出

吉田ゴンザブロー回顧録

吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家) 

昭和24年1月2日生まれ。シニア・団塊の世代を代表し「老人アルバイト列伝」を毎日発信している。サラリーマン時代は経理部長を務めていたが、現在はアルバイトを2つかけもつ下流老人。今日のテーマは、「老人アルバイター 夜間大学の学生との思い出」です。

 

夜間大学のバカ学生といっしょに働いた

老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。

もう10年以上前だが、スーパーの深夜帯で働いたことがある。

最初は、夜の部の就労だったが、気が付けば昼の要員としてカウントされるようになり、朝から夕方の勤務となってしまった。

そこに、さえない20代の男の子がいた。

吉原くん。

吉原くんは、田舎もので、夜間大学に通うバカ学生だった。

3浪したが、どこにも入れず、とある私立大学の2部、つまり夜間大学に入学したバカ男。さらに留年もしていた。

覇気がなく、目はうつろで涙目だった。

緩慢な動きで、パートさんからかなり叱られていたが、たいした戦力にもなれず、いわばただ「いる」だけの、どうしようもない人間だった。

バイトに入ったのが、吉原のほうが1年先だったので、一応「先輩」として立ててあげた。

「吉原さん、これ品だししていいですか?」、みたいなかんじで。

そしたら、吉原は勘違いしたのか、少し先輩面しだした。

ある時、バイトの帰り道に吉原に声をかけられた。

『あのさー、吉田ちゃん。これからお茶しなーい。おごるからさー』

歩いて数分のカフェで、吉原は思いつめた顔で、話し始めた。

『俺、大学辞めて田舎の実家に帰ろうと思ってるんだ。夜間の大学は何の魅力もないし、バカばかりでいやになるよ』

「先輩、実家に帰って何をするんですか」

『地元にある大手スーパーチェーンでバイトしようかと思ってるの。俺1年間、みっちりスーパーで働いてきたから、けっこう戦力になるから、社員になってくれって言われると思うんだけど』

どこまでもバカな吉原だったが、社交辞令で俺はこう言ってあげたと思う。

「吉原先輩がいなうくったら、俺は誰を頼ればいいんですか?」

そしたら吉原は、『耐えるしかないだろう。俺がいなくなったら大変だと思うけど、頑張れよ!』

それが、吉原との最後の会話だった。

それにしても、何が「俺1年間、みっちりスーパーで働いてきたから、けっこう戦力になるから、社員になってくれって言われると思うんだけど」だ。

お前なんか、何やってもダメだよ。

バカはよほど頑張らなければ、バカのままで、一生つまらない人生を送ることになるんだよ。

その言葉を飲み込んで、最後の吉原を見送った。

計算では、吉原は30代後半になっているはずだ。

いまだに、実家でバイトでもしているだろうか。

俺はあの時、吉原に叱責し、世の中の厳しさを教えるべきだったとも思う。

 

 

 

※当サイトはある人物の依頼により立ち上げました。当サイトに登場する人物や職場などはすべて架空のものですが、実在する人物に取材をし、その方の話をモデルにし、本人と特定できないように大幅に修正しております。

吉田ゴンザブローについて
老人アルバイター

昭和24年生まれ・団塊の世代、吉田ゴンザブローは今日も生きる、生き続ける。「老害」「死んでほしい」と言われようが絶対に引くことはない。『老人アルバイターは、夢はないが、ささやかな幸せがある!』この言葉を信じて、2つのアルバイトを掛けもちする。スーパー老人アルバイター(評論家)・吉田ゴンザブローはブログで生き様を発信し続けます!

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