老ター思い出の一曲「駈けてきた処女(おとめ)by三田寛子」

老ター思い出の一曲

吉田ゴンザブロー(老人アルバイター評論家)

昭和24年1月2日生まれ。73歳老人。シニア・団塊の世代を代表し「老人アルバイト列伝」を毎日発信している。サラリーマン時代は経理部長を務めていたが、現在はアルバイトを2つかけもつ下流老人。今日のテーマは、「老ター思い出の一曲「駈けてきた処女(おとめ)by三田寛子」」」です。

 

アイドルではダメだったが、結婚で一発当てた三田寛子

老人アルバイター評論家・吉田ゴンザブローです。

今日の「老ター思い出の一曲」は、「駈けてきた処女(おとめ)by三田寛子」です。

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三田寛子のデビュー曲。昭和57年の作品である。

作詞は阿木燿子、作曲は井上陽水。

これだけみても、プロダクション側の入れ込みようがわかる。

CMともタイアップしたものの、この曲は全然売れなかった。

ていうか、三田寛子は「花の57年組」の中で落ちこぼれた。

俺は、芸能評論家の素人のプロ。

三田は静かに芸能界をフェイドアウトしていくと思っていたが、細々と生き残り、何と何と今は「芸能界のご意見番」的な地位を保持している。

そう、三田はアイドルとして売れなかったが、結婚で一発当てた。

中村橋之助(現・中村 芝翫)と結婚し、「梨園の妻」という上級国民の席をゲッドしたのだ。

コメンテーターなどでは、陳腐な言葉で、そして上から目線で世の中を斬りまくっている。

再三の夫の浮気(不倫)にもいっこうにめげることはない。

芸能リポーターの「離婚はしないのですかー?」の質問に、『しませ~ん!!!』と気丈に答える三田。

そりゃそうだろう。

梨園の妻という芸能界における生命線をそうやすやすと手放したりはしないのだ。

あどけない頃の、三田の歌を聞いてほしい。

ジャケット写真の顔は可愛いが、歌がひどすぎる。

さあ、聞いて下さい!

三田寛子で「駈けてきた処女(おとめ)」です。

 

 

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吉田ゴンザブローについて
老人アルバイター

昭和24年生まれ・団塊の世代、吉田ゴンザブローは今日も生きる、生き続ける。「老害」「死んでほしい」と言われようが絶対に引くことはない。『老人アルバイターは、夢はないが、ささやかな幸せがある!』この言葉を信じて、2つのアルバイトを掛けもちする。スーパー老人アルバイター(評論家)・吉田ゴンザブローはブログで生き様を発信し続けます!

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